今から十年ちょっと前のこと、合気道を三、四年やっていたことがあった。
初段になる手前でやめた。
あれは対・他人の所作なので、思い返せば、私の最も苦手で、好きではないジャンルであった。結局それが苦痛でやめることになった。
ただ合気道のいいところは試合がないこと。
それから声を出さなくていいこと(他の武道系は必ずと言っていいほど声を出すことを要求される)。
この二点のメリットは限りなく大きかった。
(能の仕舞なども面白そうで、やってみたいと思ったこともあるが、なにしろ声を発して、謡わなくてはならない、という部分がネックだ。無言で動くだけならやってみたい。とにかく声を出すのが苦手で、当然、カラオケは、この世で最も嫌いなものの一つだ。)
合気道で、もう一つ嫌だったのが昇級試験だった。これは、別に合気道に限ったことではなく、あらゆるジャンルの稽古ごとにつきものの制度で、これを嫌がっていては、ほとんどの習い事はできなくなってしまう。
私は、別にゆとり世代ではないのだが、この手の試験とか競争の類が大の苦手なのだ。
それから、なんと言っていいのか、とにかく「偉い」感じになるのも苦手だった。
具体的に言うと、合気道では、初段になると黒い袴をはくのが決まりになっている(それまでは、普通の柔道着のような格好でやる)。
私は袴をはくのが、とにかく嫌だった。アホらしい告白になるが、初段になる手前でやめた最大の理由は、袴をはきたくなかったからだ。
昇級試験は実質的には強制だった。稽古を続けてある程度の段階になると、道場側から「次の昇級試験を受けよ」との指示が出る。次回受験者のリストに入れられるのである。
これを断ることはできない。絶対ダメというわけではないが「正当な理由もなく断るのは、審査の基準に達したと認めた先生の顔に泥を塗ることになる」というのだ。
入門当初の私は、昇級試験を受けずに、ずっと無級のまま居続けるのがいいな、などと気楽に考えていたのだが、それはできないシステムになっていた。
昇級試験ともなると、その日までに型をしっかり身につけて、身体に染み込ませなくてはならない。一人の練習だけでは、それはほぼ不可能で、誰かに手を取って教えてもらわなければ、まず無理だ。
私にとって、これは最大の難問の一つで、自主稽古の日などに道場に行っても、うまく人の輪に入ることができなかった。
道場の中では、自然なグループ分けのようなものが出来ていて、それも、目まぐるしく離合集散を繰り返す。立食パーティのような感じとでも言えばいいか。ほんのいっとき、グループに入れたと思っても、油断していると、また独りになってしまう。
結局、稽古場の片隅で、ひとり、首をかしげながら、動作の確認をする、というようなことになってしまい、やがて身の置きどころがなくなって早々に退散するはめになる。
こんなことを繰り返していたので、とにかく昇級試験が憂鬱で、できれば避けたいものの一つだった。とはいえ、断れぬ以上、これは受け入れるほかない。
しかし、袴をはくことだけはどうしても受け入れがたかった。それを避けるには昇段しない、という選択肢以外ない。
しかし、まじめに稽古していると、いやでも順調に昇級していき、やがて昇段の日が来る。私は、なんとしても、それを先延ばしにしたかった。
ある時の昇級試験で、私は思いのほか「上手く」できすぎたようだ。飛び級で、二級上がるという栄誉に浴した。
私はガッカリした。やめる日が早まってしまったのだ。
受験資格を得るには出席日数も関係している、ということも、あるとき知った。私は、受験者に選ばれないように、細かく出席日数を計算するようになった。
そうやって、一級(つまり次は初段)の最後の日々を過ごした。あと一、二回出席すると、昇段試験の名簿に載ってしまう、というぎりぎりのところまで通い続け、そしてフェイドアウトした。
いろいろ苦手な部分も多かったが、昇級試験のシステムさえなかったら、もうちょっと続けていただろうと思う。
他の道場を知らないので比較できないが、私の通っていた道場は、非常に家族的でフレンドリーな雰囲気に満ちており、感じのいいところだった。
しかし、私は、この親密なコミュニティの中に入ることができず、いつも孤立していた。
そのこと自体は、いっこうにかまわなかった。
ただ、そんな私のことを、かなりはっきり毛嫌いしている人物がいた。
その人は、なぜか私に対するときだけ、妙に険のあるとげとげしい態度で接してきた。
私も最初の頃はどうにかしようと、雑談を仕掛けてみたり関係改善を試みようとしたが無駄であった。
とにかくできるだけ、この人には近づかないようにしようと決めた。グループ分けの時なども、さりげなく、この人のところには混ざらないように気を付けた。
この人の場合は、むしろ極端で分かりやすかったのだが、彼以外からも、私はあまり好かれているようではなかった。言動の端々から、それは容易にうかがい知ることができた。
学校や職場はもとより、リアルなコミュニティで、私は、うまく適応できたためしがないので、こういった状況は、いつものことだとは言えた。
大雑把に、合気道には二人一組で稽古する型と、グループで稽古する型の二種があるのだが、その組み分けは、その場で即興で決められる。先生が、「はい、組んで」と言って、パンッと手をたたいた瞬間に、その場で組を作るのだ。これが私にはまったくダメだった。グループの場合はいいのだが、二人一組がダメなのである。
手近に座っている人と組もうと、近づきかけたら、あからさまに目をそらされたりする。これがけっこうキツかった。
反対に人気のある人には、人が殺到する。数人が小走りになって奪い合いになったりする。こういった攻防は、ほんの数秒の間に決着がつき、ふと気がつくと自分だけがあぶれている。もう毎回と言っていいぐらい、必ず自分があぶれる。
あぶれた者は、稽古場の端に下がって、正座しながら、みんなの稽古を見ることになる。
生徒の数が偶数だと、もう一人あぶれる人がいる。その人は必ず決まって同じ人物だった。
しかたがないので、私はいつもその人と組むことになる。この人がまた、あきれるぐらい体が動かない人で、まったく練習にならない。
初老のおっさんだったと記憶するが、とにかく、とろくてダメっぽい人だった。温厚で知られる先生も、この人には、よほどイラつくのか、ときどき声を荒げることがあった。
道場生たちは、ほぼ全員、この人のことを無視していた。
はっきり言って嫌われていたのだと思うが、「無視」という態度にとどめておくのが、せめてもの紳士的な対応とは言えた。
私と、この人とは、「無視」されている二人組ではあったのだが、お互い親密になることもなかった。
なにしろ、みんなから無視されるぐらい人好きのしない人柄なのである。私だって、この人のことは好きになれなかった。しかし、つねにこの人と行動を共にすることとなった。
そもそも自分には「合気」の精神が欠けていた。通い続けていくうちに、それが涵養されることもなかった。もともとゼロであったものに、何を掛けても増えはしない。
しだいに型が染み込んできて、今までできなかった独特の所作が、流れるように自分の身体から湧き出るようになる過程には、たしかに面白みもあった。しかし、他者と呼吸を合わせ、複素的身体を作る喜び、といったものは、自分には無縁のものだった。
これは資質的なものだから、もうどうしようもないだろう。
ともあれ、ほんの数年間の経験で自分が得たものといえば、「やっぱり自分には独りが向いている」という、前から分かり切っていたことの、あらためての再確認だけであった。
まあ、面白い体験ではあった。