最近、我が家にベースギターが!
一人娘が友達に誘われて大学の軽音楽部に入ったらしい。
軽音ってどんな感じなの?と聞いてみたら、
「お父さんがよく口にするオアシスやU2やレッド・ツェッペリンという名前を出しても知ってる人は、あんまりいない」とのこと。
ええ?そんなもんなの?
たしかに上記の名前は、今の若い子にはちょっと古いかもしれない。とはいえ、軽音に入るぐらいの音楽好きなら名前ぐらいは知っているのかと思ってた。
たぶん「古典的定番を押えておく」という発想は、もう今の若い人にはないのかもしれない。
思えば、私の若い頃は、必ずマウントを取ってくる怖い先輩などがいて、こっちも必死だったものだ。
自分の場合はミステリ研だったが、クイーンだのカーだのヴァン・ダインだの「これを読んでいないことがバレたらヤバイ」という作品が膨大にあって、会話をするのも一苦労だった。
たしかサークル内に”ネタばらししてもいい基本書100冊”なるリストがあったと思う。読んでないヤツが悪いという発想だ。ウチに来るんだったらこれぐらいは読んどけよ、ということである。
私は全然読んでいなかったが「まあ、おおむね読んでますかねえ」という体でやっていた。シンドイ時代だったのである。
そういえば、このあいだ、マンガ好きの人が集まる場所に行ったのだが、そこのマスター(たしか30代とおっしゃってた)が、「手塚治虫ってほとんど読んだことないんですよね~」と屈託なく言っていたのにも驚いた。
その方は、そういう場所を経営するぐらいだから、そうとうなマンガ好きで、当然いろいろなマンガをたくさん読んでいる人なのである。
私ぐらいの世代だと、手塚治虫を「好き」な人もいれば、「嫌い」な人もいたが、「読んでいない」というのはなかった。「マンガ好き」で「手塚治虫を読んでいない」というのは、ほとんど語義矛盾のような感じがあった。
ところが、もう30代ぐらいの世代ならそれは十分アリになっているようなのだ。
これは私の年齢のせいで「古典的定番」の位相がズレてしまっているのか。あるいは「古典的定番を押えておく」という発想そのものが死滅してしまったのか。どちらなのだろう。
あるいは「スノッブ」というのは、もはや死語になっているのかも知れない。
いい時代になったと言えばそのとおりなのだが、ちょっと寂しい…。