永井均さん自身にとっては、『〈子ども〉のための哲学』という本は、もう古すぎて、あんまり読んで欲しくなさそうなのだが、私が人に、「永井均」的なるものを説明しようと思うと、やはり挙げたいのは、この本なのだ。
この本以上に、問題点がクリアに明示されているものは他になく、哲学のド素人が読んでも、その意味するところがダイレクトに伝わるからだ。
この本を読んでも全くピンとこなかった人は、ここでお別れということになるし、ピンと来た人は、永井氏公認の最近の著作に進んでいけばいいだろう。読者を振り分ける最初の関門としては、やはり最も適切な書物であると思う。
こう思ってしまう原因の一つは、私自身の体験によるところも大きい。私は、『〈子ども〉のための哲学』によって、この問題に目を開かれ、以後、永井氏の全著作を読むハメになったのだが、別の登攀ルートが可能だったかと考えると、ちょっと心許ないのである。初めて出会った本が、もしも永井氏自身の推薦する『世界の独在論的存在構造』であったとしたら、どうだったろう。ちょっと歯ごたえがありすぎて、読み通すだけで青息吐息だったのではないか。そして「一応、通読したぞ!」という満足感だけで本を閉じてしまい、次の一冊に手を出すこともなかったのではないか。
もちろん、哲学的感度が高い人なら、この本でも大丈夫かもしれない。
『〈子ども〉のための哲学』の中に、哲学を潜水に例える話が出てくるが、最初から平気で数十メートルも素潜りできる剛の者なら問題ないだろう。しかし普通の人は、浅瀬でパチャパチャするぐらいのことしかできないのである。
しかし、適切な形で手を引いてもらい、少しずつ体を慣らしていけば、そんな者でも、かなりな深さまで潜れるようになる。
現実と夢の関係、人によって見える「赤」の違いの問題、過去方向と未来方向で様相を異にする人格の同一性の問題などなどについて、私は当初、かなり素朴な解釈をしていた。そして永井氏の説明の意味が理解できないことがしばしばあった。何度も何度もこの問題に立ち返ることによって、徐々に自分の考えの誤りや浅さに気づかされたのだが、それには、かなりの長い年月を要した。一気呵成に理解できるようなものではなかった。この長い道のりを耐えることができたのも、最初の入口が『〈子ども〉のための哲学』であったからだ。自分が子どもの頃から抱いていたあの問題が、間違いなくここで論じられている、という確信があったからだ。
私は永井氏の著作に出会う前から、あの問題を知っていた。子どもの頃から、何度もめまいのするような変性意識を体験してきた。
一番デカイのがきたのが二十代半ば頃の、ある日の晩だった。寝床で突然、あの変な感覚が訪れ、考えれば考えるほど恐ろしくなってきた。
その翌日、か、あるいは少なくともその数日以内に、私はさっそく図書館に走った。
こんな、とんでもない問題に誰一人気づいていない、なんてことがありうるだろうか。世の中には人間がたくさんいるし、信じられないぐらい頭のいいヤツもたくさんいる。この問題も、必ずやどこかの誰かが取り上げ、論じているに違いない。ジャンルとしては、まあ「哲学」だろう。そう思って、図書館の哲学コーナーに走ったのだ。
果たして、哲学の棚を見ると、そこには「自我」だの「自己」だのという名称をタイトルに冠した書物が、たくさん並んでいた。このあたりだと目星をつけた私は、さっそく手当たり次第にパラパラめくり始めた。長い時間をかけて、いろいろな本をつまみ読みしていくうちに、私の心は次第に暗澹としてきた。昨夜、私の心を襲ったあの名状しがたい感覚というのは、こういう問題だったっけ?
なんか違うような気もするのだが…。
こうして私の強烈な変性意識体験と、その後の行動はいったん打ち切りになった。なんとなく時間が経過するにつれ、あれは、ほんのいっときの気の迷いのようにも思えてきた。平穏な日常が戻ってきた。
そして私の中で、この問題が毀損されるもう一つの事件があった。
私は大学を出て、ごく普通に就職したのだが(正確には二度目の就職。詳しくはコチラ)、その就職先の赴任地が、いきなり山奥の土木事務所だった。周りにまともな会話を出来る者など一人もおらず、職場で話題に出るのは野球やパチンコの話ばかり。ネットもない時代だったので、かなり孤独で心細かったのを覚えている。
そんな中で唯一会話の出来る人物が、同期入社のTくんだった。彼は趣味が読書という頼もしい人物だったのだが、どんな本を読んでいるの?と聞いたら、司馬遼太郎とか『逆説の日本史』とかいう名前を出してきた。うむむ、とは思ったが、野球やパチンコの話しかできない他の人よりは遙かにマシである。
彼とは仕事帰りの夕飯をいっしょにしたりして、いろいろな話をした。話はあちこちに飛び、ふとしたはずみに、ちょっとした哲学風の話題に転ずることもあった。そんなある日、私は以前から考えていたあの問題を口にしてしまったのだ。
私は、この感覚を誰でも一度は体験したことがあるのではないかと素朴に考えていた。ましてや趣味が読書で高学歴な彼なら、ちゃんと説明すれば、たちどころに意味が通じるだろうと安易に思い込んでいた。
「ああ、オレもそれ思ったことある。不思議だよなあ」と同意を得た上で、あれこれ話ができるものと期待していたのだ。
ところが、いざ切り出してみると、話は驚くほど一ミリも通じなかった。
そこに何の謎もない、と彼は断言した。自分がなぜ存在するのか、それは両親の精子と卵子が受精したからだ、それ以外の説明はあり得ない。
「オレはオカルトとか全く認めない立場なんだよね」と彼は得意げに言った。
いや、そういう意味じゃないんだ、と私は説明しようとしたが、彼はそれを遮り、「いや、もったいぶっていろいろ言ってもダメだ。オレに言わせれば、それは、はっきりとオカルトだよ」と言い放った。
私はその後もなんとか彼を説得しようとしたが、何を言っても彼はいっさい受つけなかった。これはもう無理だとさすがの私も気がついた。悔し紛れに私は最後っ屁のようにこう言った。
「まるで目の見えない人に、見えるとはどういうことか説明しているような気分だよ」
「なに!?」
彼は、この言い方にかなりカチンときたようだ。
「よおし、わかった!!じゃあ、オレにもわかるように、とことん説明してもらおうじゃないか。今からお前のうちに寄ってもいいか」
私は、もうこれ以上、話を続ける気力を失っていたのだが、彼のこの剣幕に逆らうことは出来なかった。
その日の晩、私は彼を自分の下宿に請じ入れ、話の続きをした。その後の展開は、思い出したくもないほど悲惨なものだった。
このときの私は、すでに彼を説得することを諦め、一昔前に流行った現代思想風ジャーゴンを連打し、ハッタリ的言辞で彼をケムに巻く作戦に出た。
本棚の蔵書を適当に取り出して「この本にも書いてあるんだけどさあ」などと言いながら、いかにも意味ありげな理屈を披露してみせた。最初はフンフンと話を聞いていた彼も、だんだん興味を失っていき、「そういう話なら、オレはもういいや」と言って帰って行った。
この事件は、のちのちにいたるまで深刻な傷跡を残した。
あの問題は、私にとって、極めて私的な、そして繊細な問題であった。それを不用意に外に出してしまい、手痛いしっぺ返しを受けた。
その後、私は、あの問題を冷静に考えることが出来なくなった。考えようとすると、必ず彼の顔が頭に浮かんだ。頭の中で彼を説得しようとした。問題そのものに直接触れることが出来なくなっていた。
やがて私はこの問題を考えることがイヤになっていき、心に蓋をするようになった。
それから、さらにしばらく経ってからのことだと思う。
ある日、私は書店で、『〈子ども〉のための哲学』という本を目にした。とっつきやすいタイトルに惹かれたのか、なにげなく、それを手に取り、パラパラと中をめくってみた。
その本の中ほどに、一つの図があった。四角形が縦横に並べられ、世界a、世界bなどと描かれてあった。さらに各列の一つずつが太枠で示されていた。
その図を見た瞬間に、私は一瞬で理解した。
「あの問題だ!! あの問題が書かれている!!」
間違いようがなかった。他のどの本にも書かれていなかったこと、そもそも言葉で書き表すことが不可能なように思えたあのことが、なんとここに書かれてあったのだ。本文を一行も読んでいないにもかかわらず、あの図を見た瞬間、それはほぼ確信に近いものとなっていた。
その本を直ちに購入し、熟読したことはいうまでもない。
読後のインパクトが、どれほど凄まじいものであったか。それはちょっと言葉では言い表しようがない。今でもあれを超える読書体験はなかった。のちに永井氏自身による、より精妙な議論を読むことになっても、これを超える体験は出来なかった。
これは極めてプライベートな体験であり、どれぐらい一般化できるものなのかはわからない。しかし、この体験がある限り、『〈子ども〉のための哲学』が、たぐいまれなる名著である、という私の確信は揺るぎようがないのである。