マルコによる新明解独語辞典

WEB連載「マンガのスコア」とマンガ「ゴミクズマン」の作者のブログです。

かつて私は活字中毒者だった

下に挙げるベスト10は、コロナ前の2019年年末、その年に読んだ本の中から印象に残ったものを10冊選んでFacebookに投稿したもの。

なんでこんなものを今頃ここにアップする気になったかというと、ひさしぶりにこのリスト見て、まるで自分とは違う他人のものを見ているような奇異の念に打たれたからである。

さて、そのリスト。

 

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2019/12/19

一年の締めくくりに、今年読んだ本から10冊ピックアップしてみました。

 

◎『世界の独在論的存在構造』永井均

全身哲学者とはこの人のことを言うのではないか。たった一人で未踏の荒野をどこまでも進んでいく。いったいどこまで行くのだろう。

 

◎『精神の生態学グレゴリー・ベイトソン

ベイトソンてスゴイ!しかし、この人は一体何者?そしてこの本はいったい何?私は何を読んでしまったの?まるでわからない。

 

◎『冥途・旅順入城式』内田百閒

聞きしに勝るとんでもなさ。師匠の『夢十夜』を軽く超えているのでは?

 

◎『生命と非生命のあいだ』ピーター・D・ウォード

生命の起源をめぐる議論はまさに百家争鳴で、本によって言ってることが全然違い、何が本当なのか、さっぱり分からないけど、読めば必ず何かの刺激を得られる。

 

◎『カント二元論哲学の再検討』岩隈敏

何カ月も前からカントの『純粋理性批判』を読んでいるのだけど、なかなか読み終われない。いろいろ手を出した参考書のうち、最強だったのがこれ。『純理』の第二部門第一部第一篇あたりまで(全体の1/3ぐらい)に的を絞って原著の細かい字句にこだわり徹底的に精読している。世の中には哲学者の他に、哲学研究者というのがいて、カントの『純理』の、そのまたごく一部の、感性と悟性の形式の問題についてだけ、とことん考え続けて一生を終えたりするらしい。

 

◎『ヤクザの文化人類学ヤコブ・ラズ

日本の作家や研究者がヤクザに接近しても、その素顔はなかなか見せてくれないが、ガイジンの研究者となると、意外と心を開いてくれて、けっこう奥深くまで入って行くことができるようである。稀有なレポート。

 

◎『東京貧困女子』中村淳彦

これ読んで日本てホントにヤバイと思った。私なんかより何倍も意欲もありスペックも高い人たちが貧困の淵から抜け出せず、あえいでいる。私はたまたまラッキーだったのだと思うと戦慄を禁じ得ない。

 

◎『飛ぶ孔雀』山尾悠子

ある時期まで完全に消えた作家だった山尾悠子が今や目の覚めるような大活躍。春秋山荘の巡回展行きそびれた~。

 

◎『硝子戸の中夏目漱石

エッセイストしての漱石とは盲点だった。面白い!電話もメールもなかった時代、人は突然押しかけてきた。漱石先生も有名人だから、日々いろんな人が押しかけてきた。自分の半生を話すからそれを小説にしてくれと押しかけてきたヤバイ女性に律儀に応対する漱石先生。そしてその身の上話にガチで感動してしまう漱石先生。しかし、その話はとても文章に出来ないと言う…。どんな話だったんだ~~!

 

◎『南方熊楠全集』(の、ごく一部)

輪読座のテキストとして半年間浴びるほど読まされたわけですが、この人の頭はいったいどうなっているのか。次から次へと芋づる式に出てくる薀蓄に引き摺られるまま、書いてる当人も何を言っているのかわからなくなり、読んでるこちらもカオスのるつぼに叩き落されたまま、ひたすら読み続けるうちに、ヤバイ脳内物質が湧いてきて、へべれけになるのであった。

 

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以上十冊。もちろん読んだ中のごく一部で、このころは、とにかくめったやたらといろんなジャンルの本を読んでいた。読まなきゃならない本が大量にあって、追い立てられるように読んでいた。文中にもあるように、たしかカントにもハマっていて、『純粋理性批判』を長い時間をかけて読んでいた。

 

当時の私はかなりの活字中毒者で、一にも二にも「活字」、三、四がなくて五が「映画」、だいぶ下がって「マンガ」、というのが関心事のランクだった。

それが今ではすっかり入れ替わってしまい、マンガ漬けの日々となっている。活字は申し訳程度しか読んでいない。

十代の頃からそうとう重症な活字中毒者だったので、自分にこんな変化が訪れることは想像外のことだった。死ぬまで本にまみれて暮らしていくだろうと思っていた。

 

このような劇的な変化が訪れたのには理由がある。

2020年の春先、ちょうどコロナ禍が猖獗を極め始めたのと軌を一にして、「マンガのスコア」の連載を始めた。(下記リンク参照)

edist.ne.jp

イシス編集学校からの依頼で始めたことなのだが、最初はそれほど真剣にやるつもりではなかった。

ところがやり始めてみると、これはとても中途半端な気持ちでやりきるのは無理だということに気がついた。この際、好きな読書などはいったん禁欲して、マンガのことのみに全集中しようと思った。

連載が終了した暁には、堰き止めていたものを解禁して、浴びるほど本を読みまくってやるぞ、とそれだけを楽しみに二年あまりを耐えてきたのである。

ところが、連載が終了して、いよいよ読書再開か、という段になり、少し思うところがあった。

今の自分は、けっこうマンガが描ける状態になっている。この状態は、そうそう維持できるものではない。

そしてまた、私は、かつてほんのちょっとではあるがマンガを描いていたことがあった。

根気がなくてほとんどものにならなかったが、描きたいと思って心の中にしまい込んだままのアイディアがいくらかある。ほとんど腐りかけているが掘り返せば今でも面白いものになるんじゃないかという気がしないでもない。

この際、それをアウトプットしてみるのもいいのではないか。

さいわい、創作マンガをめぐる状況も、いつの間にかすっかり様変わりしている。ズブの素人が明日からでもいきなり作品を世の中に公表できるようになっていたのだ。よく知らんが「バズる」とかいって、凄く読まれたりするケースもあるらしい。

よし、これはいっちょうやってみるか。という気になった。そして今年の初め頃から、いそいそと自作マンガをTwitterなどにアップしはじめるようになったのである。

しかし「バズる」どころか、ほとんどアクセスのない状態がながらく続き、何度かくじけそうになったが、今のところまだ続けている。

ところで、マンガなんか描いていると、ほんとに読書などやっている場合ではないのだ。まず、私は今どき流行りのマンガを全く読んでこなかった(「マンガのスコア」をご覧になればわかるように古いのはけっこう読んでいる)。創作に手を染めるからには、ちゃんと今のマンガの動向も知らなくてはならない、と思い、遅まきながら新しめのマンガを読み始めている。

SNS初心者なので、この世界での振る舞い方もほとんど知らない。いろいろ勉強しなくてはならないのだ。そもそもマンガの描き方もちゃんと知らないので、一から学ばなくてはならない。時間と手間の省力化のため、ペンタブレットも買ってみた。超のつく機械オンチである私が、これの使い方をマスターするのは茨の道である。とにかく問題は山積みなのである。落ち着いて本など読んでる気分にはなれないのである。

マンガはもうちょっと続ける。

もうすんでのところで挫折しかけていたのだが、最近ちょっとアクセスも上向いてきたので、「もうちょっとだけやるか」という気になってきた。気持ちが続けば、まだあと何年かは続けるつもりだ。

しかしまあ、いずれはまた、あの懐かしい活字中毒の日々に戻るのではないかと思っている。いつになるかはわからないが…。