マルコによる新明解独語辞典

WEB連載「マンガのスコア」とマンガ「ゴミクズマン」の作者のブログです。

高村友也『存在消滅』

(承前)死の恐怖を解決する方法

 

最近、哲学者の永井均さんから引用ツイートしてもらうということがあった。

https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1723686926098788786

私のツイートのインプレッションは、ふだんはせいぜい百あるかないかといったところなのだが、このツイートは、たちまちのうちに三万件以上にまで膨れ上がった。

ツイッターは、ほんのちょっとしたことで、同じつぶやきが、ものすごく激変する。

 

もともとの私のつぶやきは、永井均氏の勧める『存在消滅』(高村友也)という本についてのものだった。副題にあるとおり「死の恐怖をめぐる哲学エッセイ」だ。

一読、恐るべき名著であることにすぐ気がついた。

「死」の問題については、若い頃から気にかかっていて、そうしたテーマの本も随分読んできたが、いつもポイントを外されたような隔靴掻痒感ばかり感じさせられてきた。だんだんうんざりしてきて、やがてそうした本は読まなくなってしまった。

そんなところへもってきて、この本は、まさにドンピシャだった。まさに、この問題なのだと思った。

とにかく非常に平易な言葉で書かれているので、描いてある内容自体は、ほぼ誤解の余地なく誰にでも読み取れると思う。

ところが、本当の含意は、ごく一部の特殊な人にしか伝わらない。そういう本だ。

自分は、この本の著者と、ほぼ同じ感覚を共有している、と感じるのだが、一つ大きな違いは、自分は、この問題からの「逃避と忘却」に、ほぼ成功してしまっている、という点だ。

私にとって、死の問題は、一時的な変性意識状態下に立ち現れる現象で、ふだんはそこに意識の焦点を合わせようとしても、うまく像を結ばない。「何か重要な真理に触れていたような気がするのだが、あれはなんだったのか」と、ぼんやりと思い出すだけだ。

ところが、この著者は、ずっとこの観念にとらわれていて、奈落の底に落ちていくような凄まじい恐怖に、恒常的に直面し続けているらしいのだ。

これは本当に恐ろしい状態だと思う。自分は、ほんの短い間だけでも、狂気に陥りそうな危険な状態になった。

しかし喉元過ぎると熱さを忘れるように、完全な「逃避と忘却」に成功してしまうと、今度はちょっと心の余裕が生まれてしまい、「もう一度あの感覚を思い出してみたい」などと贅沢なことを思い始めてしまうのだ。ほんとに奈落の底に落ち込んでしまうと怖いので、穴の縁からちょっとだけ覗いてみたい...というような。

そんな虫のいい要求に、この本はみごとに答えてくれた。読んでてちょっと危険な状態になりかけたが、大丈夫だった。そして、ひさしぶりに思い出した。そうそう、この問題だ、一番重要な問題だ、忘れていたよ。

 

(「中島義道と高村友也」につづく)