マルコによる新明解独語辞典

WEB連載「マンガのスコア」とマンガ「ゴミクズマン」の作者のブログです。

『純粋理性批判』はどの翻訳で読む?

カントの『純粋理性批判』を通読したのはコロナ前の2019年頃だった。読み通すのにだいたい一年ぐらいかかった記憶がある。

若い頃にはカントには興味がわかなかった。

というより、ポストモダン的なものによって乗り越えられた古色蒼然たる近代思想の権化、というようなステロタイプなイメージがあったので、とても積極的に読もうという気持ちにはなれなかったのだ。

ところが、年を経るにつれ、だんだんと「もしかすると、この人はけっこう重要なことを言っているのでは?」と思い当たる節がしばしば出てきたため、とりあえず一回ぐらいは原典を通読してみようという気になった。

ところで様々な翻訳バージョンがある古典的定番の場合、どの訳で読むかはちょっと悩むところだ。

純粋理性批判』ともなると、選択肢がかなり豊富なので途方に暮れるばかりだが、結局、光文社古典新訳文庫で読むことにした。

私が『純粋理性批判』について、光文社古典新訳文庫中山元訳を選んだ理由は、ただ「読みやすそう」という一語に尽きる。

とにかく初学者にも苦痛なく読めることに徹底的に心を砕いた、かゆいところまで手が届く訳文の工夫の数々。

カント用語として定着している基本タームも、場合によっては、あえて定訳を採用せず、独自の訳語を採用。

また、少しでもあいまいな表現のあるところは、[ ]内に補足的な説明を、ためらいなくどんどん書き加え、一点の曇りもない明快な文章に改造している。巻末解説も非常に充実しており、最初の数巻は一冊の半分以上が解説という極端なボリューム。

そして極めつけはこの巻数。普通は上下二巻とか、せいぜい三巻本ぐらいで刊行されるのが通例のこの書物が、なんと全7巻にもなっている。おかげで息切れせず読み続けることができた。

文字組もかなりゆったりしていて、パラグラフごとに表題を付した上で行間を開けているので、パラパラめくった印象は、まるで手軽な新書のよう。他の訳本は、たいていギッチリした文字組で恫喝してくるので「まあ、そのうちいずれ読もうかな」と遠ざかってしまうのだが、これだと「あ、今から読もうかしら」という気分にもなろうというもの。

というわけで、とにかく挫折しないで読んでおきたい初学者には、この版をオススメしたい。

かといって訳文が優れているかどうかというと、素人の私には全くわからない。私淑する永井均先生が中山訳をあまり評価していないらしいのが、ちょっと気になるところだ。(ちなみにTwitterによると永井先生のお勧めは熊野純彦訳、石川文康訳、宇都宮芳明監訳だそうです)

良い訳文(とされているもの)で読むべきか、読みやすさで選ぶべきかは、なかなか難しい問題だが、私の場合、とにかく挫折せずに一回通読しておきたい、という目的が大きかったので、結局読みやすさの方を優先したわけであった。

この選択が正しかったのかどうかはいまだによくわからない。いずれにせよ、別の訳本で、もう一度通読し直す、などということは今後の人生でおそらくないだろうことは確かだ。