マルコによる新明解独語辞典

WEB連載「マンガのスコア」とマンガ「ゴミクズマン」の作者のブログです。

遅咲きでしかありえなかった人 松本清張『ある「小倉日記」伝』

或る「小倉日記」伝 (新潮文庫―傑作短編集)

松本 清張(著)

 

本書は、ミステリー作家として名を馳せる以前の、松本清張の純文学的作品を集めた短篇集である。しかし、単なる流行作家の前史的作品集という言葉だけでは括りきれない、重い内容をもった本である。

松本清張といえば、社会派推理小説の分野に一時代を築き、古代史や昭和史などの歴史ノンフィクション、『日本の黒い霧』に代表される疑獄事件ものなど、様々な分野で多大な業績を残した作家として知られている。その膨大な仕事量から、さぞかし若くしてデビューしたのだろうと思いきや、なんとデビューしたのは四十過ぎである。その上しばらくは純文学系の作家として活動し、『点と線』でブレイクしたのは、なんと四十八歳の時なのである。

さらに驚くべき事実を付け加えるなら、太宰治松本清張は、ともに1909年生まれである。作家としてのキャリアが全く重なっていないので、全然別世代の人のように見えるが、実はこの二人は同い年だったのである。太宰は、松本清張が、まだなんにもしていないうちに、あれだけの業績を残して、自殺して死んでしまい、そしてその後から、松本清張の、あの膨大な仕事が始まったのである。

松本清張が、ここまで遅咲きだった原因の一つは、太宰と真逆で、赤貧洗うがごとき家庭に生まれ育ったせいである。清張自身、竹箒の行商やら、いろんな職業を転々としながら、もの凄く苦労している。学歴は小卒で、歴史や文学に関するあれだけの見識は、全て独学で身につけたものである。

清張の、この初期作品集を読めば、彼こそ、作家になるべくしてなった者、作家にならざるを得なかった「全身小説家」であったことがたちどころに了解されよう。そして、彼が「全身小説家」になるには、四十数年の歳月が必要であったことも。

ところで、清張といえば、なんと言っても社会派推理小説の確立者として知られている。清張が華々しく登場した昭和三十年代以降、日本の推理小説は社会派一色に塗りつぶされ、本格モノの進展を阻んだなどと言われている。確かに清張ミステリーに奇抜なトリックと言えるほどのものは、ほとんどない。

「社会派」推理小説と聞くと、社会悪を告発するミステリー、というイメージを持つ人もいるだろう。「国家や巨大資本の暗部にメスを入れる」というような…。事実、清張自身、流行作家になるにつれ、こうした「告発」調が、少なからず顔を出すようになってくるのだが。

しかし、本書に収録されている短篇を読めば、告発的な口調は希薄である。ここには巨悪は存在しない。ただただ運命の不条理だけが目の前に広がっているばかりである。中島みゆきにならって言えば

  誰のせいでもない雨が降っている/しかたのない雨が降っている

なのである。

表題作「或る『小倉日記』伝」は、清張43歳の芥川賞受賞作。(そう。松本清張直木賞ではなく、芥川賞作家なのである)小倉時代の森鴎外の研究に生涯を捧げた、ある身体障害者の実話を元にした話である。この主人公には、最後にもの悲しい結末が待っているのだが、幕切れの哀切きわまりない情景描写はまことにみごとである。

「青のある断層」は、ふとしたことから画壇の功名争いに奇妙な形で関わることになった男の皮肉な人生。

「石の骨」は、明石人骨の発見を握り潰された実在の人物に取材した話。

「赤いくじ」は、戦争末期、ある貞淑で美しい女性が、在郷軍人の恋のさやあての対象になってしまい、そこへさらなる不運が重なって、とんでもない目に遭ってしまう話である。

ここに収められた話は、いずれも「誰のせいでもない」のに、あるささやかな不運のために、心ならずも陰影に富んだ人生を歩まざるを得なかった人々の物語なのである。

社会を俯瞰的な視点から眺め、問題のポイントはここなのだ、と「告発」できるのはインテリである。ここに登場する人たちは皆、運命の荒波にもまれ、なすすべもなく立ちすくんでいるだけである。

彼らは、決してシュプレヒコールをあげたりはしない。

彼らの声は、「俺は警官を撃ってやったぜ」と、ふてぶてしくつぶやくエリック・クラプトンではなく、「オ、オラ…。け、警官を撃っちまっただよ…」とおろおろしているボブ・マーリーの声である。

ここに収められている話は、どれもこれも恐ろしく暗い。読む者の胸をじりじりと焼き焦がすなにかがある。それと同時に、そこには諦観に似た悲しみが同居している。のちに流行作家になるにつれ、彼自身も失ってしまった止むに止まれぬ呻き声のようなものがナマな形で投げ出されている。

やはりこのような物語は、酸いも甘いも噛み分けた四十過ぎのおっさんにしか書けない世界だろう。

静かで端正な佇まいの下に、もの凄い怨念が渦巻いている。

「怨み節」ではある。しかし決して「告発」ではないのである。

 

しかし、この、どこにも持っていきようのない怨念のようなもの、これなくしては、後の流行作家・松本清張は生まれなかったに違いない。