マルコによる新明解独語辞典

WEB連載「マンガのスコア」とマンガ「ゴミクズマン」の作者のブログです。

橋本治さんのこと

(承前)「90年代の宴会」

 

2019年1月、橋本治が亡くなった。

生きていたら、今のコロナ禍のことを、なんて言っていただろう。

私は若い頃、橋本治の、かなりヘヴィな愛読者だった。ことに『親子の世紀末人生相談』なんて、かなり熟読していた。今でも、「人生相談」ものの最高峰は、これだと思う。

 

ちょうど就職直後で、鬱屈していた頃、橋本さんは「ヤングサンデー」という雑誌で、また新たな人生相談ものを連載していた。私はこれを毎週すがるように熟読していた(立ち読みだけど…)。

その連載の企画で、あるとき「橋本治72時間サマーセミナー」なるものの告知があった。伊豆かどこかで二泊ぐらいの合宿をするという。参加希望者は、自分の悩みを800字ぐらいに書いて応募する規定だった。

私は、そのとき直面していた仕事の悩みを、勢い込んで書いて送った。

しかし、合宿に参加した時には、すでに無職となっていた。

 

合宿には、悩みをかかえた重たい人たちが集まってくるかと思っていたら、意外とみんな明るい人たちだった。「実は悩みなんかないんですけど合宿に参加したいのでテキトーに書いて出しました」とか言っている人もいた。

橋本さんに屈託なく話しかける他の参加者がうらやましくてしょうがなかった。私は緊張して全く声をかけられなかった。

 

初日のはじめの方は何人かの参加者の悩み相談をやっていた。しかし、その日の午後になると、もうキリがないので希望者だけにしますということになった。どうしても相談したいという人はいますかと言われた。

私は、しばしの逡巡ののち、思い切って手を上げた。

ところが私より一瞬早く手を挙げた人がいた。そこで、その人から話すことになった。

果たして、この人が、なんともおかしな人だった。

今日ここに来るまでの道中の話とか、最近興味あることとか、どこらへんが悩みなのかよくわからない話をえんえんとし始める。しまいには、もうどうしようもないグダグダな雑談になり、いつまでたっても終わらなかった。

シビレを切らした参加者の一人が「もういい加減にしろよ!」と言った。

すると、「いや!彼の話をとことん聞いてあげるべきだ」と言う人も現れ、参加者全員が二派に分かれて大激論が始まった。橋本さんも、ときどき口をはさんで、活発な討論が続けられた。

結局その大騒ぎだけで時間が潰れてしまい、私がしゃべる機会も与えられないまま、その会は、お開きになってしまった。

(ちょっと待って。僕の話は……)

橋本さんは、もう一人発言予定者がいることは知らないようだったし(発言者を募ったのは橋本さんが入室する前だった)、主催の編集者も、他の参加者たちも、すっかりそのことを忘れているようだった。

私以外の参加者全員が、口角泡を飛ばして大激論し、存分にしゃべり尽くしていた。みんな満足そうな表情で「いやあ、今日は熱かったなあ」「こんなに真剣にしゃべったの初めてだよ」などと話しながら部屋へ戻っていった。

完全に取り残された私は、一人呆然としていた。

 

たしか、その翌日だったろうか。

自由時間みたいなのがあり、みんなで海岸に遊びに行った。

私は少し遅れて一人で海に向かったのだが、海岸が広すぎてみんながどこにいるのかわからない。いくら探しても見つからず、ほとんどあきらめかけていたところでパラソルの下に橋本さんと二、三人の人たちが坐っているのを見つけた。

私は「どうも」とかなんとかゴニョゴニョ言いながら少し離れたところに腰を下ろした。

話しかけるなら今だ、と思うものの、どうしても声が出ない。押し黙ったままじっとしていると、橋本さんの方から私に向かって、ちょいちょいと手招きしてくれた。

橋本さんの切り出し方は、すごく唐突だった。

「すごく疲れるんでしょう?」

どうも事前に出した私の作文の内容を覚えている様子だった。そのときの私は、仕事を辞めて無職になった直後だったので、この先自分がどうなるのか皆目見当がつかず、不安のどん底にいた。しゃべりたいことは山ほどあるのだが、思いがあふれすぎてしゃべれない。

それでも橋本さんの独特の話法に乗っかりながら、二言、三言しゃべりかけたところで、どこかへ行っていた他の人たちがドヤドヤと戻ってきた。

「いや~、向こうで女の子をナンパしてたんだけど失敗しちゃいましたよ~」とかなんとか言って、その顛末を面白おかしく話し始める。橋本さんはニコニコ笑いながら聞いていた。

結局それで、橋本さんとじっくりしゃべる貴重な機会を、またしても逃してしまったのである。

今でも、このときのことを思い出すと、心が疼いてしまう。

 

たしか最後の日に一人ずつ橋本さんとツーショット写真を撮らせてもらうことになった。橋本さんにグイッと肩を組まれながら、こわばった仏頂面をさらしている二十代の私の写真が、今も家のどこかにあるはずだ。

当時の橋本さんは44歳。今の私よりずっと若かったなんて信じられない。

 

(「コンビニ人間失格」附論・完)