(承前)「アライくん」
近著『星新一の思想』などで知られる浅羽通明氏は、90年代、頭でっかちのインテリおたくを舌鋒鋭く批判するスタイルで知られていた。
観念を弄んで、いい気になることを戒め、リアルと向き合い、等身大の自分を直視することが説かれていた。私は、この人の教えに、えらく感化された。
アフターファイブの知から、ビフォアファイブの知へ!
甘えや自惚れの通用しないシビアなカタギの世界へ!
私は常に自分にキビシクあらねばならぬと思った。
しかし、志はむやみに高いものの、その実態は、アルバイトも人づき合いもせず、赤鉛筆でびっしり印をつけた「ぴあ」を片手に、映画や芝居をハシゴする日々だった。
こうして大学の四年間は過ぎ去っていった。
90年代に入って流行り始めた「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメを見たとき、私はギクリとした。主人公の碇シンジくんが「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」と念仏のように唱えながら、その実、逃げ回っていた。まるで自分の内面をバラされたような気がした。私はいつもファイティングポーズを取りながら、じりじり後退し続けていた。
それでも、自分なりに努力はしているつもりだった。
人と喋れないという自分の欠点をなんとか矯正したいと思い、学生相談所を訪れたり、「アサーション(自己主張)トレーニング」とか「対人関係の学習グループ」とかいったプログラムに参加したりした。
そこではコミュニケーションに問題を抱えた人たちが集まり、おのおの問題を持ち寄り、それを解決するためにロールプレイグなどをやったりした。
そして「上手く喋れないと思ってましたが、こうしてロールプレイグしてみると上手くいきました!」などというような形に落とし込んでいく趣旨なのだが、私は、ロールプレイグでも、一言も喋れなかったりして、全く処置なしであった。
そして、しばらく通い続けていくうちに、受講生同士が打ち解けていくのだが、その輪の中にも入っていくことができず、「コミュニケーションに不全を抱える者たちのコミュニケーションにも落ちこぼれる自分は、もう本格的にダメなのでは…」などと、よけいにこじらせるばかりであった。
「わからなかったこと」につづく。