(承前)「わからなかったこと その2」
『コンビニ人間』を読んで、主人公の古倉さんに親近感を覚えた。
世界の仕組みがどうなっているのか、さっぱり理解できず、意味もわかず手探りで行動している。その感じが自分に似ていると思った。
自分が「わからない」ということもさることながら、なぜ、みんなは「わかる」んだ、ということの方が不思議だった。どこかでアンチョコでも配られているのか?
ただ、古倉さんが私と違うのは、わりと度胸が据わっていて、何事にも動じないところである。「わからない」状況に困惑している様子はうかがえるが、動揺しているようには見えない。わりと、あらゆることに「平気な人」として描かれている。
そして他者の攻撃的言辞に対しても、かなりの耐性を持っている。白羽さんや、その義妹さんの罵詈雑言にも、まったくこたえている様子はうかがえない。
私は、人から攻撃されることを何より恐れるので、とにかく怒られないことに細心の注意を払っている。
典型的日本人なので、同調圧力などには素直に従い、空気もできるだけ読んで適切な行動を取るように心がける。にもかかわらず、「わりと空気が読めない人ですよね」などと言われることも多い。私は人の何倍も空気を読んでいるつもりなのに、なんでなんだ。
人を傷つけるような言辞も決して吐いていないつもりだ。
以前、ある人の話を聞いていて、普通に返事をしていたら急にその人の機嫌が悪くなったことがあった。なにげなく「なるほど」と言っただけなのに、「えっ、なるほどってどういう意味ですか」と言われ、うろたえた。いくら考えても何がマズいのかわからない。実は今でもわからない。
また、あるとき職場の忘年会か何かで取り皿に食べ物を取っていたら、その皿を見て笑う人がいた。「ちょっと、この人のこの皿、見て見て」とみんなに触れてまわられ、「失礼ですけど写メ撮らせてもらっていいですか」と言って写真を撮られた。今でも何がおかしかったのかわからない。
また、あるとき、繁華街のデパードで、ある人にばったり出会った。黙礼したら、向こうはぎょっとした顔で黙礼を返しながら通り過ぎていった。あとで会ったとき、「いやあ、このあいだは、スゴかったですね。何があったのかと思いましたよ」と言われた。私はごく普通の格好で、ごく普通に歩いていた。何がおかしかったのかわからない。
私はそういう小さな出来事にも、いちいち反応してじっくり考えた。
あのとき、たしかに自分は、ごく普通の格好で、ごく普通に歩いていたと思うのだが、そういえば汗をかいて気持ち悪かったので服を脱いでランニングシャツ一枚になっていたと思い出した。
たしかに、そこらの畦道ならともかく、都会の繁華街で下着姿は少し変だったかもしれない。いや、よく考えたら、そうとう変だ。かなりオカシイ。
そうだったのか。しかし、そう指摘されるまでは全く気がつかなかった。
私は、このようなおかしなことを時々しているに違いないと思った。
とにかくこうやって、何かおかしな反応をされるたび、私はそれを等閑視せず、きちんと検討して対処した。しかし、そういうことは次から次へと起こり、まるでキリがなかった。
人としゃべっていて、突然、場の空気を壊すこともよくある。
自分が何気なく発した言葉のせいで、突然、場が凍りついてしまう。
あれっ、自分は何かおかしなことを言ったのかな、と思うのだが、何がおかしいのかよくわからない。とにかく場の空気が凍ってしまったことだけはわかる。しかし、その発言の何が問題だったのかがわからない。
あとでこっそり耳打ちされることもあった。
「お前、さっきあんなこと言ってたけど、あれはマズイだろ」
「え…、マズイって何が…」
「何がって、お前、あれは失礼だろう」
「え?し…、失……?」
「お前、ホントにわかんないの?」
「……すみません」
「ホントに?」
ホントにわからなかった。
私は「無害ではあるが、ちょっとした変わり者」と見られがちだった。それがちょっとした苦笑やあざけりの程度で済んでいればいいのだが、長くいると、徐々に攻撃的な色彩を帯びてくることがあった。
性格に愛嬌があれば、変わり者でも済まされるのだろう。しかし、私は他人に全く心を開こうとせず、話しかけられても、ビクビクおどおどと当たり障りのない返事をするのが常だった。
「ちょっとゴミ箱に、これ捨てたのはあなたじゃないですか」
「いや、それは私ではないです」
「ファイルの順番が滅茶苦茶だよ。あなた、何かしました?」
「いえ、私は知らないです」
職場で何か妙なことがあったり、不審なものが見つかったりすると、まず最初に疑われるのは私だった。ちょっとした盗難騒ぎがあった際も、上司がこっそり私を別室に呼び出し、問い質した。
むっつりして何考えているかわからないやつ。ときどき常識とズレた不審な行動をするやつ。
だいたい同じ部署に長くいると、私の立場はどんどん悪くなった。「もうそろそろ、ここも限界だな」と思う頃、人事異動があったりして、ホッと胸をなで下ろすのが常だった。しかし根本的な問題は何一つ解決しなかった。
こうして、常に自分の呼吸に意識を向けているような微妙な緊張感が今も続いている。
しかしそれはまるで見知らぬ異世界に放り込まれた異星人のようなものでもない。
強いて言えば、慣れない外国に長期赴任しているような感じか。自分は普通に振る舞っているつもりなのに、ときどき現地の人から笑われたり、戸惑われたりしている。できるだけ早く馴染みたいと思っているのに、いつまでも土地の言葉も覚えないし、風習にもなじまない。ネイティブと全く同じになろうとまでは思わないが、できるだけ違和感をもたれないように振る舞いたいとは思っているのだ。
そのためには表面的なあれこれを、気がつくたびに修正するといった弥縫策では駄目で、もっと根本的な解決策が必要なのだろう。
そのポイントはどこにあるのか。生きている間に、それを見つけることはできるのだろうか。
「命名というマジック」につづく。