(承前)「アルバイトができなかった私」
大学時代の私にとって、アルバイトと同じぐらい重要な課題だったのが「飲み会」だった。
飲み会は、自分にとって、何の楽しみでもなく、まさに「修行」のためのものだった。人見知りが激しく、内にこもりがちな私は、とにかく飲み会などに積極的に参加して度胸をつけ、対人コミュニケーション能力を上げていく必要があると考えた。
サークルなどに入部し、飲み会の企画があれば、できるだけ参加することを心掛けた。そして全力をもって、それに対処した。
「1時間以内にしゃべるぞ。」
飲み会が始まってから長い間、一言も喋らなかった者が突然口を開くのは、そうとう勇気がいる。
30分を過ぎたあたりから、だんだんと敷居が高くなっていき、1時間を超える頃には「もう今日は無理だ」と諦めモードになる。
そうなる前に喋らなくてはならない。1時間以内、できるなら30分以内に何でもいいから声を出すこと。これが飲み会における私の努力目標となった。
しかし、この目標は、たいてい達成できなかった。
帰りの電車で吊革に揺られながら
「今日も三時間、一言も喋れなかった……」
と、真っ暗な気分を味わうのであった。
なぜ、自分は喋れないのか。
一つは話題がよくわからないということがあった。みんなが喋っていることがよくわからなかった。
どんな話題がよく出るかと、気をつけて観察してみると、スポーツ、クルマ、ファッション、テレビドラマや芸能人、食べ物、知り合いの誰それの話、などが多いようであった。そのどれもが自分には全く不案内なジャンルだ。
とにかく勉強しようと思った。
まず、一番よく出るスポーツ(とりわけ野球)の話題に対処するため、スポーツ新聞を買ってみた。まるで暗号文のようで、何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。
当時ブームだったF1の話もよく出るので、見てみることにした。
同じような形のクルマが何台も同じ場所をグルグル回っている、それが延々何時間も続く。まるで不条理な実験映画を無理やり見させられているような苦痛しか感じなかった。
こういう方面の努力は早々に諦めることにした。
やはり、話法を鍛えるしかない。
自分が喋ることができない原因を探っているうちに、一つ気がついたことがあった。
自分は、何か喋ろうとするとき、セリフの冒頭から末尾まで、頭の中で完成させてからでないと喋れないのだ。
会話の流れの中で、ふと思いついたことがあるとする。それを発しようとする前に、まず頭の中で喋ってみる。一発では決まらないので、何度か繰り返して推敲する。そして、「よし完成した。喋ろう!」と思った時には、とっくの昔に話題は別のものに移っている。
もう一回さっきの話題に戻らないかな、などと思って待っているのだが、戻るわけがない。
「ああ、せっかく今、頭の中に完璧なセリフが出来ているのに、これを使えないのか」と悔しい思いを噛みしめながら、とっておきの「作品」を廃棄するしかない。
思いついたことをその場でパッと喋れる人を凄いと思った。文章なら打ち直したりできるが、しゃべりは一発勝負だ。ふと思いついたことを喋り始めたとき、文章の全体は、まだ完成していない。頭を高速回転させながら、その場で日本語文法に則った意味の連なりを作成し、文末までいっきに駆け抜ける。譜面のないアドリブ演奏のように、経験による蓄積と高度なテクニックが要求される技能だ。
私にとって、アドリブというのは、最も不得手とするジャンルであった。
とにかく文章を完成させずに、すぐに喋り始めること。
この技を修得するまでには二十年近い歳月を要した。
曲がりなりにも、少しはできるようになったのは四十代を過ぎてからのことだった。
「フリーズする私」につづく。